『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』
東京でハイテンションな女子高生ライフを送る、小山門出と“おんたん”こと中川凰蘭。ふたりが暮らす街の上空には、3年前の8月31日、突如宇宙から出現し未曽有の事態を引き起こした巨大な〈母艦〉が浮かんでいた。
非日常が日常に溶け込んでしまったある夜、仲良しクラスメイトに悲劇が起こる。衝撃と哀しみに打ちのめされるふたり…。
その後、大学に入学した門出と凰蘭は竹本ふたば、田井沼マコトと意気投合、尾城先輩がいるオカルト研究会に入り浸り、大学生生活を謳歌するが…一方、宇宙からの〈侵略者〉は東京のそこかしこで目撃され、上空の母艦は傾き、煙を立ちのぼらせている。政府転覆を狙い〈侵略者〉狩りを続ける過激派グループ・青共闘が暗躍し、世界が終わりに向かうカウントダウンが刻まれる中、凰蘭は、不思議な少年・大葉に遭遇する―©浅野いにお/小学館/DeDeDeDe Committee
映画版で評判が良かった本作ですが、尺が長い分、表現の幅が広がるかなと思い、アニメ版を鑑賞してみることに。
ちなみに両者の違いはこんな感じ。
項目 | 映画版 | アニメ版 |
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ストーリー | 原作とは異なるオリジナルの結末を採用 | 原作に忠実で16年後の世界まで描写 |
エンディング | 浅野いにお描き下ろしの新エンディング | 原作に基づいた展開と結末 |
話数・構成 | 劇場版(前後編) | 全18話 |
主な特徴 | 大葉圭太の活躍が際立つ | 門出とおんたんの友情や時間軸の交錯が深く描かれる |
まずもって浅野いにおワールド健在。
なんですが、終わり方等を鑑みると以前よりも希望が持てるような形になっているのはやはり丸くなったというべきなのか。
ストーリーとしては10年前に始まったとは思えないような設定と既視感のある現代、その調和が恐ろしくも魅力的に映る。
ある種の世界系ともいえるような絶望と希望の入り混じった世界。
浅野いにおが考える終末の香りとアンバランスなキャラクターのハーモニー。これが妙に違和感があるわけですが、それは元々浅野さんが持っているようなバランス感があればこそ。
謎の宇宙船が上空にある中、普通の日常が送れるという設定が現代にありそうで一層怖いように映る光景。
同時に容赦ない事態が降りかかるというのもありそうで、まさに既視感があるというのはそういう無頓着が育む逆説的な狂気ゆえか。
あんな世界がやってきてもおかしくないという絶妙なバランスの上に成り立ち、そこに生きる人々もあんな人たちがいてもおかしくないと思わせる。
冒頭のキャッチから中盤の転がり方まで、日常と非日常の狭間を辿っていくことになるわけですが、その様は以前にあるようなどの作品にも似て似つかない様相。
あくまでも既視感はあるのに今までにないテイスト。
ストーリー上一番魅力に感じるのが”結局人生というのは短いもので、ちょっとのズレで全てが変わってしまう”ということ。
それって日常でのすべてに表れていて、わずかな差異で誰と仲良くなるのか、どんな職業に就くのか、生死を分けるのか、当たり前に過ぎていく中で忘れているような感覚、それがタイミングによるズレなんだろうなと。
おんたんと門出がそれらを体現しており、この二人を中心にして物語における大枠の絶妙なかじ取りをしている。
余白にこそドラえもん的な道具であったり、たられば的な分岐だったりもありつつ、たわいない日常(宇宙船が浮いている時点で普通では無いが)が送られていく。
ように見えるところがポイントで、ここに時間と人物の錯綜、本筋と伏線が見事に絡み合いながら交錯していくのが面白い。
映像的な部分にしても、日常と非日常の見せ方が上手く、唐突に訪れるインパクトが映像的な迫力として容赦なく表現される。
爆発とか、銃撃とか、そうした類の映像表現はクオリティ高いですよね。
小技としても気が利いていて、テロップとして場所などを説明するところなどはミッション感があってギミックが面白い。
奇をてらったような映像でなく、基本を忠実にメリハリをつけた印象が強く、切り替えがお見事。
ラストで描かれる”これで良いんだ”という背中を押してくれるような、日々を大切にする必要性みたいなものもあり、望むモノを手に入れるのでなく、今あるモノを望むモノに変える努力こそが希望へと紡がれる感じ。
未来は暗く辛いものかもしれませんが、悲観していても始まらないというところに自身含めた希望を見出せたような気すらして爽快な観後所感でした。
漫画と映画は未読、未鑑賞なので、こちらも機会があれば。
では。
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