『Cloud クラウド』
黒沢清監督が菅田将暉を主演に迎え、憎悪の連鎖から生まれた集団狂気に狙われる男の恐怖を描いたサスペンススリラー。
町工場で働きながら転売屋として日銭を稼ぐ吉井良介は、転売について教わった高専の先輩・村岡からの儲け話には乗らず、コツコツと転売を続けていた。
ある日、吉井は勤務先の工場の社長・滝本から管理職への昇進を打診されるが、断って辞職を決意。郊外の湖畔に事務所兼自宅を借りて、恋人・秋子との新生活をスタートさせる。
地元の若者・佐野を雇って転売業は軌道に乗り始めるが、そんな矢先、吉井の周囲で不審な出来事が相次ぐように。吉井が自覚のないままばらまいた憎悪の種はネット社会の闇を吸って急成長を遂げ、どす黒い集団狂気へとエスカレート。得体の知れない集団による“狩りゲーム”の標的となった吉井の日常は急激に破壊されていく。
菅田扮する主人公・吉井の謎多き恋人・秋子を古川琴音、吉井が雇う青年・佐野を奥平大兼、ネットカフェで生活する男・三宅を岡山天音、工場の社長・滝本を荒川良々、吉井を転売業に誘う先輩・村岡を窪田正孝が演じた。
ゲームという言葉がふさわしい。
人生を俯瞰した目線で見るとそれに近しいような感覚を抱くことがあるわけですが、現代になってその様相は一層現実的でリアルなものになってきているような気もしている。
黒沢清監督が撮るとどうしても血が通っていないような人物たちを多々目にすることがある気がするのだが、この作品もそうで、なぜだか皆コントロールされているような印象すら受ける。
ジャンプにある勇気、友情、情熱といった人間味あるコンテンツもあればまたその逆、人間味の無いそれというのもあるわけで、無味乾燥とした画作りというのは相変わらず。
このような感覚を抱く理由はいくつかあるわけだけど、最も感じたのが後半での銃撃戦。
邦画の銃撃戦においてそこまで良いなと思う作品は無いのですが、本作はちょっと独特な印象を受けたんですよね。
まず、乾いた音でエフェクトのボリュームが極めて大きい。
そこまでの演出でも驚かせるようなシーンや破壊を伴うシーンでのボリュームは大きかったわけですが、銃撃戦ではそれが特に顕著に続く。
これってなんでこのバランスなんだと思いながら見ていたんですが、それまでの流れにも感じていた”ゲーム感”。より空虚で形骸化した表現としてのこの感じならば納得もいくなと。
ようは全てゲームにあるような形骸化した営みなんですよ。
あくまでも主観ですが作品内で描かれる、労働、転売、飲食、娯楽、恋愛、そうした事柄において重きがが置かれていない。
おおむねほとんどの人が人生で必要とするような事柄において、活力のようなものを感じないんですよ。
こうしたことって現代の先行きが不透明な社会から派生した事柄として、実社会でも存在するなと思っているんですが、その様相を一層デフォルメすると本作のような世界観や趣向になるのかなと。
とにかく終始、実社会であることは明白であるにも関わらず現実味に欠けている。
あくまでも観てる側がですよ。
撮影に関しては今回、佐々木靖之さんという『あのこは貴族』や『寝ても覚めても』を撮られていた方なんですね。
冒頭のショットからちょっと食らいました。
唐突かつ殺伐とした、ある種の狂気を孕んだ幕開け。
広い空間を感じさせる余白を残しつつ、演者の導線で見せるカメラワークは黒沢監督の好みそうな不穏さで、「ああ、黒沢作品が始まったな」と。
そんな不穏さを感じさせる”予兆”という部分において様々な仕掛けがあって面白かったんですよね。
バスのくだりにしても吉井の自宅でのくだりにしてもそう。
ぞっとするような演出っていうのは相変わらず上手いですよね。
直接的な脅かしも然ることながら気配を感じさせることでのにおわせがとにかく上手い。これぞ黒沢清と思うのはこういう演出からくるんですよね。
どう転がるかわからない構成というのも興味をそそるところでしたし、その辺の期待の裏切り方、結末への展開というのもどこかインディ作品に拠るところがありました。そしてそのような作品をあの俳優陣でやるという。
スリリングで挑発的、日常の延長線上に非日常があるようなファンタジック感を味わいつつ、銃声を楽しみに是非音響の良い映画館で。
では。